優しさと強さではなく、優しさと怖さ
よく言われているのは、「優しさと強さを身につける」という表現ですね。
強さなら分かるけど、怖さを身につけるってどうよ?と思われるかも知れません。
でも、尊敬に値する人達って、能力が高くて優しいだけではなく、ある種の怖さを持ち合わせている事が多い様な氣がします。
畏敬の念の様な感じ
怖さと言っても、別に暴力的だとかそういう事ではなく、自然界に対する畏敬の念の様な意味での怖さです。
威厳とかそういう感じで。
もちろん怖いだけでは話になりませんよ。
優しさと怖さの両面を持つことを意識することで、雰囲氣がずいぶん変化すると思います。
怖さを纏う
優しいだけだと舐められるものですから、何かしら得体の知れない怖さというものの纏っていないと、世の中を渡っていくことは難しい面があります。
優しそうなだけだとガラの悪い連中に絡まれる可能性が高くなりますが、怖そうとかやばそうだとスルーされますからね(笑)
それは氣の強さがあって初めて成り立つものではあるのですが、強さだけを意識していても怖さは纏えないものですから、強さを身につけつつ、怖さを纏うことを意識することになります。
怖そうなだけでも駄目
怖そうなだけの人では、また別の意味で面倒に巻き込まれやすいものなので、優しさと怖さの両方を纏うという事が大切です。
それから、怖さというのは雰囲氣を纏う事であって、威嚇するとか怒鳴りまくっているとか、ガラの悪い格好をすると言うことではないので誤解しないで下さいね。
見かけ上は優しそうに見える
本当に凄い人は、格好も普通だし穏やかだし言葉使いも物腰も柔らかいのだけど、畏怖の念を誘う様な雰囲氣を持っています。
氣配が分からない人だとそこまではっきり分からないかも知れないけど、分かる人間からすると、とても怖さも感じるものです。
でも、とても魅力的なので怖いけど大好きで尊敬できる憧れの人って感じでしょうか。
自然界の優しさと怖さ
自然というと、優しいイメージが先行してしまっている感もありますが、実際は本当に恐ろしい面もありますよね。
自然災害なんかも、自然の恐ろしい側面でしょう。
また、昼間なら楽しいハイキングコースでも、深夜に一人で歩くなら、そこは危険に満ちた世界に豹変するものです。
若氣の至りの体験談
若氣の至りの黒歴史ですが、20代前半の事、山で眠ったらきっと氣持ちが良いだろうなと考え、昼間に何度も行ったことのあるハイキングコースなら大丈夫だろうと安易に考え、たいした装備も無しに深夜に一人で森の中に入っていったことがあります。
途中で雨は降ってくるし、真っ暗で小さなライトでは足下しか見えず、もの凄く怖かったです。
元・お堂の様な廃屋で寝たのですが、ほとんど眠れなくて、氣持ち良いどころでは無かったです。
夜が明けて明るくなって、やっと安心できました。
自然を舐めるな!って話ですけど、結構人の手が入ってるし、少し歩けば民家も有るレベルの森でしたから、平氣だろうと思った訳ですが、大きな間違いでした。
人工物の有り難さを非常に感じた体験でもありますが、自然界は優しいだけではなく、非常に恐ろしい場所でもあることを痛感した体験です。
だからといって自然が嫌いになったかというとそうではありません。
優しくて怖いからこそ、魅力的でもあるということです。
優しいだけだと、多分、そこまで魅力は感じないでしょう。
優しさと怖さは同じコインの裏表
ある意味で、優しさと怖さは同じコインの裏表であるかも知れないと感じています。
神道では、和魂と荒魂も両方が祀ってありますしね。
それが自然のせいしつですから、人の性質も、そういう二面性があるのが自然なことであり、それを上手く使い分けることが大切なんだと思います。
優しいだけでも半分だし、怖いだけでも半分なのでしょう。