初めて背後を意識した時のことを思いだした。
前ばかりに意識が向いて居るから、その修正の為に背後を意識して、そしたら急激に氣の容量が増えて、背後って凄い!って事になったのだった。
その収監は凄くて、でも慣れてくると、それだけでは物足りなくなって、色々やっていて訳が分からなくなって、背後を意識するのを忘れて、容量が減って、そうだ背後だ!ってなって、容量が・・・のループだった。
背後は、空間認識の修正の為で充分だったと。
それだけでも凄い事なのに、そこから背後は時の比喩だの、空間認識の修正以上の神聖化をすることで、おかしくなっていた。
背後を意識することは忘れず、でもそれ以上神聖化せず。
この認識で良さそうな感じ。