スピリチュアル

2021/1/30

感謝に行き着く

色んな意識の使い方等のテクニックを探求してきたけど、結局は、そこではなく、感謝という在り方に行き着くということが理解出来た。 背後を意識するのにしても、それは感謝の氣持ちを強いレベルで維持する為の布石に過ぎなかった。 それなしでも強い感謝を感じているなら、何の問題も無かったという。 とは言え、強い感謝に至ることが難しかったりするのだけれども。 強い怒りや恐れを感じるのは簡単だけど、強い感謝って相当エネルギーがないと難しいもんなぁ。 そういう意味では、背後を意識するというのは効果的なテクニックではある。 た ...

2021/1/8

視野の背後の感覚で思い出した事

視野の背後の感覚を味わっているのだけど、その状態で仙骨を意識すると狭すぎて窮屈になってきた。 特定の部位に限定するのはだめみたいだね。 それで全身に合わせてみたら、一時的には良い感じだったけど、それでも狭いと感じた。 それで、認識している世界全体で氣を受け止める感じにしたら、ああこれかと。 認識している世界が自分だったなと。 認識している世界全体が根源からの波動を受け取れば良いんだなと。 それで思い出したのが、現実世界は神で在る自分が観ている夢のようなものという感覚。 眠っているときに観る夢は、すべて自分 ...

2021/1/6

視界の背後と仙骨の組み合わせ

再び仙骨が戻ってきた。 やっぱり仙骨なんだねぇ。 ただし、前回と違うのは背後の感覚。 視界の背後という原点との組み合わせになった。 思い返せば、仙骨に興味を持ったのは18歳の時でずっと仙骨で来ていたから、初めて背後を感じた時って、原点の背後だったし、仙骨も意識していたので、いまの感覚だったのかも知れない。 あの当時、背後を意識した時に感じた感覚は、本当に凄かったからね。 でも、再現できなくなって、試行錯誤して早18年。 やっと取り戻せたのか?あの感覚を。 不意にやってきた感覚ってさ、まさにプレゼントだから ...

2020/12/25

初めて背後の感覚を認識したときの感じを思い出した。

初めて背後を意識したときの感覚を忘れていた事に氣付いた。 ここ最近の背後の感覚と全然違っていた。 初めて感じた時の方が凄かったという事。 初めて背後の感覚が来たのは2002年だったと思う。 それはそれは衝撃的だった。 そのインパクトが強かったから、背後を外せなかったのだけど、その背後の感覚が、いつのまにかすり替わっていたのだから驚きだ。 元々、背後に至ったのは、視野は前方にしか広がっていないから、視野外である背後を意識したらどうだろう?ということから始まった。 それはつまり、視野の背後だった。 ところが、 ...

2020/12/22

顔の中央

かなり久々の雑感になりました。 前に書いていたのは背後だったけど、この間に頭頂になり、そして顔の中央に変化した。 頭頂に変化した時は、頭頂こそが答えだ!とか思ったのだけど、なぜか雑感に書くこともなく、いつのまにか違和感を覚え、12月の3日頃に、顔の中央だ!となった。 その後、顔の中央をどう扱うかを試行錯誤して、今に至ります。 顔の中央というのは、長いお付き合いの方なら覚えているかも知れないですが、2006年頃に私が「センターアイ」と勝手に名前をつけていろいろやっていた「目と目の間で鼻筋の窪んだ場所」の事で ...

2020/11/7

少し修正 氣の波動は「いま」だけど、氣の感覚は過去が正解っぽい。

やっぱ氣の感覚は過去だった。 五感よりもさらに「いま」に近い過去ではあるが、過去は過去。 でも、自分が発している氣の波動は「いま」であるという事が理解できた。 いまこの瞬間に発している氣の波動を感じることはできないけど、発している氣の波動は自分そのものであり「いま」。 発している氣の波動は、在り方で変化してる。 発した氣の波動によって現実が変化していて、氣を感じることで、どんな氣を発したかを確認し調整していく感じか。

2020/11/3

背後を意識する件で、新たに氣付いた事

背後に関して、いくつか氣がついた事がある。 五感は過去だが、氣の感覚は「いま」だということ。 「いま」は創造そのもので、この瞬間に創造が行われているが、それを認識することはできない。 認識した瞬間にそれは過去だからというのは、これまでにも書いた通りで変わらない。 氣の波動は創造そのものなので、「いま」だったんだなと理解できた。 創造は「いま」であり、それは有であるという事が、いまいち理解できていなかった。 過去も有だが、「いま」も有であるということ。 なぜか、私は「いま」を無だと解釈してしまっていた。 こ ...

2020/11/2

背後の感覚

背後を意識することを最近軽視していたことに氣がついた。 氣づいてすらいなかったことに衝撃を覚えたけど(笑) で、思い出したのが、背後で考える感じのやつ。 すっかり忘れていた。 背後って空間的な背後では無く、感覚的な背後なので、なかなか説明するのが難しい感覚ではある。 今回思ったのは、背後と「いまここ」は同義かも知れないということ。 それは無とか空とかと同義でもある。 であるならば、それは神ともいえるのかも知れない。 神は背後に在りということか。 まあ、背後に神が在るっていうより、背後が神そのものなんだろう ...

2020/10/11

なんかいろいろ変化してきた

仙骨はもう外す事はないとか言い切っていたけど、なんかまた変わりそう(笑) やっぱり特定の部位っていうのをやめた方がいいって思った訳です。 それと、感じている世界は全て過去であるという事が再浮上してきているのも大きいかも。 身体の感覚も過去であるので、その一部である仙骨をはじめとする特定の部位に「いま」である、大いなる何かをリンクさせるのは間違っていると思ったという流れ。 どこでもない、すなわち、どこでもあるというのが正解なのではないだろうかと。 いまとは無であり、あまねく意識そのものであるし、それは空間的 ...

2020/9/29

内面に対する認識が変化した

これまで、内面を探る時って、漠然と内側を意識していた様な氣がする。 何を持って内面なのかよくわからない様な面もあったし。 初期の頃は、身体の内部を内面だととらえていた様な氣がするけど、いつからから観念的な内面を探るような感じにシフトしていた様に思う。 心を探るとかそういう事なんだけど、それを体感的に内側として探っていたと。 でもそれって、自分のイメージにすぎなかったのかも知れないとふと思った。 すなわち、自分の想像したイメージを延々と探っていただけなのかもということ。 で、最近、肉体の内面が、まさに内面と ...

2020/8/30

仙骨

久しぶりの更新になってしまった。 先月末に仙骨の重要性を再認識してから、色々やっている内に1ヶ月経ってしまった感じ。 仙骨を意識することを軸に色々やっていたけど、身体に関しては仙骨だけでいいらしいというのが、今の結論。 つまり、身体では仙骨を意識するだけ。 仙骨を中心とした認識している外界を自分と認識するような感覚になっている。 もちろん身体全体の状態は把握している。 感覚も含めて。 後は、イメージや思考の操作だけ。 身体の氣お操作したければ、その様なイメージをするだけということになる。 視界にある椅子か ...

2020/7/8

左右の半球に意識を向ける

脳幹に意識の焦点を合わせる事と併用して、左右(の半球)に意識を向けるという事も加えると良い感じ。 左右で現実世界を捉えるというのは、脳の構造に沿う感じになる。 身体も左右の半身で認識すると、よりシンクロできる。