スピリチュアル

2020/4/5

脳全体の原子の隙間

第三脳室で色々やっていて、身体の氣が落ちているというのは昨日書いたのだけど、それで色々調整していてフト思ったのは、脳全体の原子の隙間という概念を使えば、有である脳と、無である虚空を共存させる事ができるのではないか?という事だった。 取りあえず、いまここって脳に置き換えてもいけそうなのと、その原子の隙間ということで、虚空にも繋がれる様な感じがした。 この認識の場合だと、必然的に脳で吸う感じに変化する。 大脳は右脳左脳の二つとして把握するのも従来通りで。 これなら脳幹も小脳も把握出来そうだし。 脳から身体と外 ...

2020/4/4

無の体感をできたのは良いのだけど、有である身体の氣の勢いが落ちている。何かをミスっている可能性。 或いは、しばらく大人しくして自然に変化するのを待つべきなのか。

タイトルそのままの通りで。 なんか身体の氣の勢いが落ちている様な感覚になっている。 急減期に器が広がった為に満たす氣の量が足りてないだけなら、しばらく待っていれば御戻ると思うのだけど、何かをミスっているなら、修正しないといけないという感じで。 もしかすると身体にとらわれ過ぎている癖のせいかも知れないけど。 自我が世界という観点を採用すれば、身体の波動の勢いでhなく、世界の波動の勢いを意識すれば、修正できるのかな? 広大な虚空である無に立ち位置があるなら、地球の表面であある世界ですあら、とても小さい空間だも ...

2020/4/2

はじめからそれはそこにあった。

今朝から続いているこの体感は、これまでの30年の集大成とも入れる様な体感。 近づいては離れていった第三脳室の本当の意味するところとか。 本当に、内側に広大な時空が広がっているんだよ。 びっくりだよ。 それは源であり、いまここで、それは創造そのもので、少し後で外界の世界として認識されるのだろう。 はじめからそれはそこにあった。 でも氣づけなかった。 それに氣付けばいいだけだった。

2020/4/2

不思議な感覚がきている

第三脳室で感じるという体感では無く、第三脳室から被創造物である現実世界の波動を吸うという感覚に変えたら、自己の立ち位置が、第三脳室の内側に変化した様な感覚になった。 この立ち位置からだと、呼気時に第三脳室に対して押すという感覚は不可能のになる。 なんせ、第三脳室の内側の虚空に自己が在るので。 呼気時は虚空で波動が広がっているのを観ているよな感覚で。 この感覚は、まだ変化すると思うので、あいまいなままにしておく。 なんとも不思議な感覚です、これは。 第三脳室の内側なのに、世界より遙かに大きい様な感覚もありつ ...

2020/3/31

第三脳室の内側に広大な何かが広がっている感覚

認識している現実世界はからも含めて過去なんだということで、体感的に第三脳室がいまここなんだという感覚でずっとおちついている。 では、未来は?ってなると、第三脳室の内側っぽいという感じになっている。 そこはまだ空間にもなっていない何かなのかも知れないけど、要するに無とか空って事だろうね。 これまでも尾内上名認識を持ったことがあったのだけど、どうしても外側の物理的空間へのとらわれというのが強すぎて、直ぐに意識が外側へ向いてしまっていた。 第三脳室の個別化した神が、肉体や世界を感じるところまでは良かったのに、今 ...

2020/3/18

今日は、氣付きの節目の日。新しい段階へ進む時が来た感じ。

いまも第三脳室からの視点で色々試しているところです。 基本的には同じ事をやっているのだけど、第三脳室に事故の立ち位置を置いた状態から、身体、そして外界を感じていって、更にその外側まで意識すると第三脳室に戻ってくる感覚が出てきた。 この感覚は興味深い。 ここでも、外側と内側は同じものであるという事の体感が起きた訳だ。 外界の更に外側が、第三脳室という事になる。 そして、その意識状態だと、第三脳室から氣が湧水の様に湧き出す感覚もでてきた。 その時、原野そこから湧いてくる感覚や、鼓動の高鳴りも伴っているのも興味 ...

2020/3/15

身体の内部を更に内側から感じるという視点を理屈の上で納得するという面でも第三脳室というのは向いていると思う。

第三脳室というのは、脳の中心あたりにある空洞で、そこに脳髄液が満たされている。 空洞なので、ある意味、肉体では無いという事でもある。 身体の内部の更に奥という条件を満たせる場所でもある訳です。 だから、今回の視点を維持するのに、第三脳室に意識を合わせておくということが、理屈としても納得しやすいのだと思う。 今の体感って凄く面白くて、自己の物理的次元での大きさが、第三脳室並みで、肉体という巨大メカと感覚共鳴して操縦している様な感覚になっている。 コクピットが第三脳室という訳だ(笑) 第三脳室から、眺めている ...

2020/3/15

第三脳室

肉体内部を更にその内側から把握する感覚になるとき、自己の位置を第三脳室に置くのが良さそう。 過去にも何度も第三脳室を意識したことがあったけど、そもそも意識している時点でベクトルが逆だったという事が理解出来た。 氣付いていなかったが、これまで身体の内部のどこかを意識する時、身体の外側から内部を把握する認識だった。 身体の外側から内部を把握している時点で、それはもうエゴ視点でしかなかった。 エゴから、身体内部の聖なるポイントを把握するという視点。 エゴに基点を置いている時点で、直ぐに限界がくる訳だ。 意識を向 ...

2020/3/14

自分の身体を認識するとき、無意識で外側から把握していた事に氣がついた。

自分身体を認識するとき、身体の外側から身体を把握していた事に、今更ながら氣がついた。 これだけでは、何の事か分かりにくいので、噛み砕いて説明していきます。 自分の体を動かす時とかでも、視覚的に自分の身体を認識する癖がある為に、無意識に身体の動きを外側から把握して動かしているという事です。 例えば、おへそを意識して下さいと言われたら、ほとんど人は身体の外側から窪みを認識すると思います。 内側から身体を把握するというのは、身体の内部からへそのの九緒実を把握するという事になります。 内部に向かって尖っている感覚 ...

2020/3/9

背後

以前、背後は時の比喩という表現を使っていた事を思い出した。 その後は、空間認識の修正に背後を意識するだけにしてしまっていたけど、やっぱりそれとは別に背後を意識する事が必要かも知れない。 肉体内部から自分をどかせることをやっているけど、それを意識しつつ背後を意識したら、ものっすごい広大な何かを感じた。 広大という表現も本当は違う。 広大だと、それは空間だからね。 時の比喩としての背後だから、悠久のいまとか、久遠とかそんな感じの方が近いか。 時の比喩としての背後と、空間認識での背後は別のものなんだけど、ずっと ...

2020/3/2

肉体は天地自然そのもので、自我は世界

肉体は自分ではないという表現をするとき、多くの場合は、本当の自分は肉体を越えた魂とかそういう意味合いで使うと思うけど、それだと肉体を低く見ているんだよなぁ。 私が言う時分は肉体では無いっていうのは、エゴというのは肉体ですらないというニュアンス。 以前にも書いているのだけど、肉体における自分というのは、思考や感情、動作、姿勢、姿くらいであって、身体の生命維持反応とかは、自分の範疇を超えてますよね。 内臓の働きとかさ。 それは完全に自然の働きそのものです。 自分と思っている自分は、肉体のごく表面的なものに過ぎ ...

2020/2/26

因果応報という事について

因果応報というのが、絶対の法則であるというのはそうだと思います。 ただそれは、「自分の与えたものが自分に返ってくる」という事であって、法則自体は中立です。 これは、「自分の本心で信じている通りに世界が振る舞う」という事であって、自分の行いの報いを受けるとかそういう事ではありません。 過去生のカルマと言われるのは、自分ではどうにもならない「いつの時代に、どの国のどの地域で、どんな家庭に生まれるか」という事に関して、生まれついての格差を、理由付けする為に生じた考え方なのではないかと思います。 スピリチュアル的 ...