スピリチュアル

2020/2/26

魂から氣を出そうとしている時点で委ねきれてないなと思った。

魂の内側に世界があるというところまでは良かったのだけど、その魂から氣を出そうとしている事が違うんじゃ?というのを今朝の起き抜けに氣が付いた。 魂の波動を感じるだけで、あとは委ねるのが正解ではないかということ。 魂の波動が物理的現実世界に湧き出してくるがままに任せること。 そうしていれば体の氣も高まる感じ。 以前、原子の隙間という概念で空を感じていた時に、すべてが止まっている様な感覚で、動きを感じることもできなかったので、氣を動かした方が良いのではないかと思ってしまったのが間違いの元だった。 そもそも原子の ...

2020/2/26

シンプルに頭の外で考えるだけで良いのかも知れない。

クンダリーニのエネルギーを利用して、脳梁の事は書いていたけど、その後、脳幹、松果体、小脳、右脳左脳とか、全部一斉に振動数上げるとか脳の使い方を色々試していたのだけど、段々面倒臭くなってきて(笑) 脳を活性化させるからって、脳を意識する必要なんて無いよなぁと、ふと思って、頭の外で考える奴をやってみたら、なんか好い感じっぽい。 認識している現実世界の映像は脳内の映像であるという事も矛盾しないし。 体感としては頭の外で考えるって感じだけど、認識している映像は脳内の映像なので、認識している現実の映像に重ねて考える ...

2020/2/21

以前、ボツになった意識の使い方が、実は氣の不足のせいだった可能性

クンダリーニを使い出して、エネルギー量が桁違いになってみると、今の使い方では氣があまる。 それで、以前ボツになったやり方の事を思いだし始めた。 以前、使えなくなったのって、氣の消費量が多すぎて氣の供給が追いつかずにダメになっただけかも知れないなぁと。 これだけ氣の量が増えたのなら、もしかしたら使えるやり方があるかも知れない。 いくつか候補があるので、試して見ることにした。 いま試しているのは、脳梁から放つやり方。 結論は直ぐには出ないけど、何パターンか試してみる予定。

2020/2/18

尾てい骨を使うのを無意識に避けていたことに氣が付いた

頭部の小脳、胸部の心臓は良いとして、腹部でまた迷い始めた。 へそか小腸か、はたまた仙骨かとやっていたけど、尾てい骨があったよなぁって思った。 なぜ、尾てい骨を無意識に避けてきたのだろうか。 尾てい骨と言えば、クンダリーニですわな。 クンダリーニは迂闊に扱うと危険という刷り込みがあって、どうも無意識で避けてきた様だ。 中学生の時に読んだ霊脳開発の本にそう書いてあったので、それにずっと従ってきたらしい。 なんという刷り込み(笑) 氣功に出会う前の話だからなぁ。 あれから30年以上、氣の訓練やっているし、もうク ...

2020/2/26

感謝が原点だったなぁとか思ったり

最近、あまり感謝の事に触れてなかったなぁと思った。 感謝を忘れてる訳じゃないけど、以前ほど重要視していなかったのかも知れない。 でも、改めて感謝は大切だよなぁと思い返しているところ。 一時期、感謝より祝福の方が上と思っていた時期もあった。 もちろん祝福も素晴らしいのだけど、だからって感謝の方が下って事にはならないはずなのに、なぜかその様に思っていたと。 最近は、別方面の探求で忙しかったけど、一段落ついたいま、1周回って再び感謝に戻って来た感じか。 感謝が原点だったなぁと感慨深く思い出している。

2020/2/9

無とか空を、勝手に静的なものと思い込んでいた事に氣が付いた

たぶん、無とか空という名称から勝手に高エネルギーではあるけど静的なものと思い込んでいたのだと思う。 そんな思い込みがあるとは、まったく氣が付かなかった。 だから、原子の隙間とか、根源の氣とか、そういう感じで、無や空を意識しても、静止状態だったんだよね。 まさに無の状態(笑) でも、そうじゃないんだと。 超高周波の波動なんだと今日、認識を改めたら、波動が全然違ってきた。 認識を変更できたのは、昨日の「魂の内側に世界かある」という認識から、魂と無や空が同一のものなんじゃないの?ってなって、魂には固有振動数があ ...

2020/2/6

魂の中に認識している世界があるという認識

昨日から今朝にかけて、ハラで魂とリンクというのも分離であり、エゴだったと氣付いた。 特定の部位で云々って、分離だって散々書いていても罠に落ちる。 全ては一体であるという前提を忘れたらいかんね。 その前提を踏まえて考えてみると、魂の内側に体があるという認識でさえ、世界と体を分離しているのだと氣付く。 じゃあ、どういう認識なら分離じゃ無い?と思い巡らせると、魂の中に体も含めた世界があるのであればいいじゃないか?と思い至った。 あくまでも認識している範囲の世界だけれども。 それでも壮大な話やなぁと思ったけど、あ ...

2020/2/2

現実世界を左右の半球でとらえるというのを思い出した

この概念も10年以上前から時々有情しては消えていくを繰り返している概念で、また浮上してきた感じ。 振り返ってみると、コアスターとかハラの話も3年位前にも書いているのな(笑) 何度ループしているのだろう。。 とは言え、あの当時よりは、肉体へのとらわれが薄くはなっているので、認識は大分違う様ではある。 日付変わっているので、昨日の朝の起き抜けの時の話になるけど、「認識している現実世界が自分」という事の理解が変化した。 これまでは、その自分って超意識とかそういう感じの自分だと思っていたけど、そうじゃない。 現実 ...

2020/1/28

氣功歴33年弱にして初めての感覚かも知れない

魂の座が小腸という認識になって4日程になる。 位置的に小腸ではあるけど、シンプルにハラという感覚の方が合っているかも知れないけど。 それはさておき、なんというか、これまで体験した事が無い感覚が来ている。 ハラで宇宙を感じるというか、虚空を感じるというか。 そしてハラに魂を感じている様な感覚もある。 あと外界の氣の波動もハラで感じてる様な感覚で。 全てがハラにまとまっている。 これまでの感覚で、いまの感覚に一番近かった時は、へそを意識していた時なんだけど、その時より遙かにパワフルな感じで。 以前も、深い瞑想 ...

2020/1/19

体感的には、魂はへそ辺りに在るのかも知れない。

現実世界と違う次元だから、大きさとか位置とかあまり意味は無いような氣はするけど、体感的な位置というのは確かにあるので。 へその位置まんまっていうよりは、少し奥な感じですが。 その魂の中心から、波動を放っている感じ。 なので、へそから氣を出すのとは、ニュアンスは違います。 これって、バーバラ・ブレナン氏の提唱するコアスターに近い感覚なのかも知れない。 まあ、位置は若干違うけど。 今月初めに書いていた、オーラから氣を放つ感覚をより洗練できた感覚になります。 なんかね、へその奥辺りに、太陽がある様な感覚でね。 ...

2020/1/10

愛に満ち溢れるというのも、エゴの抵抗だったと氣付いた

愛に満ち溢れるとか一見素晴らしい事の様に感じるけど、これもエゴの巧妙な罠だった。 見事に騙された。 まあ、自分で自分を騙していたわけですが。 へそや心臓、盆の窪から氣を取り込むというのもエゴの抵抗。 少し前、全ては氣の波動であり、エネルギーそのものなのだから、そもそも氣を取り込む必要すら無いって書いていたのにね。 そして氣は愛そのものでもあるのだから、物質も含めて全てが愛から生じているもの。 つまり、愛そのものであるということ。 最初から世界は愛で満たされているのに、肉体に愛を満ち溢れさせるという事自体が ...

2020/1/8

愛はハートから満ち溢れる感じが正解だろうね

この辺の感覚も、ずいぶん忘れていたというか。 へそ、心臓、盆の窪から取り込む感じにしたら、心臓から湧き出してくる氣があって、それって愛だよなぁと。 何も分かっていなかった頃の方が素直にそれを愛だと理解していたのかも知れない。 心臓からエネルギーが溢れる感覚はあったのだけど、それを創造力の開放と称して、そのまま現実世界に放出していたのが、間違いだったという事なのだろう。 そうじゃないんだと。 そのエネルギーは愛そのもので、それは外界に放出するのではなく、自分の肉体を満たすこと。 そして外界に溢れ出すもの。 ...