もの凄い久しぶりの雑感です。
神は全てなので、身体の中央だけが神という事ではないのだけど、体感的に身体の中央を空ける事で、神に身体を明け渡す感じが出て、それが委ねるという事にも繋がるのだなと感じました。
それで身体の中央を空ける為にはどんな意識の使い方が良いのか?という事になりますが、現時点では、左右の扁桃体に意識を合わせておくのが良さそうな氣がしています。
身体の中央には霊的に重要な中枢がある訳ですが、そこを意識している限り中央が空かないと氣付いた訳です。
チャクラを意識してみたり、心臓や脳幹、仙骨、へそ etc.
神に繋がろうとして、それらを意識する事で、神と遮断されるという皮肉。
中央に霊的中枢の扱いは神に任せる。
その為には、中央から意識を外す事が必要だと分かった。
それで意識を合わせておくと良いのが、扁桃体の2カ所ではないか?と現時点では感じているという事。
中央の霊的中枢を意識する事すら、エゴの巧妙な罠だったと。
扁桃体は、左右の大脳の中心にある、情動に関わる器官です。
左右の目の奥辺りですね。
実は、氣付いた順番は逆なんですけどね(笑)
扁桃体を意識するのが良いのでは?となって、意識しはじめたら、中央が空いた感じ。
そしたら、ああそういうことか!ってなった。
以前、身体を右半身、左半身で捉えるとか、現実世界を左右で捉えるという内容の記事を書いた事ありますけど、良い線行っていたと思う。
というか、もしかしたら左右の扁桃体を意識するより、左右で捉えておく方が良いのかも知れない。
それが何の為かが、以前は分かっていなかっただけなのかもしれない。
左右で捉えたところまでは良かったのだけど、中央は左右が重なった場所だと認識したために、中央を閉じてしまい神との繋がりを制限していた様な氣がしてきた。
左右を意識して、中央を空ける事が大事だったと。
要は、中央を空けて、神に明け渡す感じが出るなら何でも良いって氣もします。
宇宙を感じている感じで在るのは前提ですけどね。
それと厳密に言えば、中央を空けて身体を神に明け渡す感じにすると、元から神と繋がっていたと氣付く感じです。
元々繋がっているのに、繋がろうとするから、遮断されたように感じてしまうという事でしょうな。
元からそうで在る状態にはなれませんからね。
始めからそうで在ったと氣付くだけです。
とにかく、中央から意識をどけることです。
それだけです。
あとは、自然に任せるのみ。
それが委ねるという事でもある。
でも、いま、ご自身のやり方で上手くいっているなら、このやり方は採用しなくて構いません。
このやり方は、エゴを弱める方向に働きますから、相当抵抗感があると思いますし。
現実のコントロールの放棄でもありますからね。
相当な勇気と、神への信頼が無いと難しい。
中央にある霊的中枢を意識しつづける限り、神と切断されるらしいという考え方もある事を、心の片隅にでもおいておいてくだされば充分です。