氣の感覚は「いま」だったと氣付いて少し経った。
それによって、封印していた氣の使い方を再び使える様になっている。
なぜ、封印していたかと言えば、氣の感覚を五感と同列に扱っていて、氣の感覚も過去だと思い込んでいたから、氣を操作するのは、「いま」ではないという思い込みが理由だった。
「いま」とか特に意識していないときは、普通に氣を動かしたり、氣の場で想像したり、ごく当たり前にやっていた。
でも、誤解したまま「いま」を意識しはじめたら、そりゃ、氣を動かすとかやれないよねと。
本当に、この誤解は罪深いと思う。
まあ、自分が勝手に誤解していただけなんだけどさ。
氣はいまであり、全てであり、意識そのものだった。
そして意識の中で想像した事が現実になる。
なのに、氣を使うことを拒絶していたという事になる訳で。
よくそれでこの氣配を維持出来ていたなぁと、逆にびっくりだよ。
ヒーリングは邪気抜きと師背に起きる氣の交流でだけでやってきたので、なんとか保っていたけど、ヒーリングの数を増やす事は困難だった。
たぶん増やしたら死ぬから。
でも、これで制限しなくて済むことになった。
氣が自分であるというか、個別化している霊体含めた体は本質では無く、個々と個の間が本質というか本体であるというかね。
だから、世界とか他者も自分という事でもある訳だが、それだけじゃないということ。
体感的には、自己は体の外側なんだけど、それは霊的次元という意味では内側でもある。
というか、肉体も氣の波動なので、本当は分ける事も無意味なんだけど。
まあ、そんな感じの感覚で、いまはいます。