文句を言う人、賞賛する人
素晴らしい行いにも文句を言う人がいるかと思えば、最低最悪な行いに対して賞賛する人も一定数います。
人を集合で捉えた時、一定の割合で、賛同者、反対者が必ず出るというのは興味深い現象です。
何故、そうなのかを解き明かすことは私には無理ですが、そういうものなのだと覚えておくと、必要以上に罪悪感に苛まれることも無く、自分のやりたい様にやりやすくなります。
何をやっても文句を言う人
どんなに素晴らしい事をやっても文句を言う人が出てきます。
なんでそこにケチを付けるかなぁって思う事がしばしばありますからね。
でも、そういうものなのだと割切って、いちいちまともに受け取らず、受け流す様にした方が、精神衛生上良さそうです。
100%の人が賛同することなんて皆無です。
必ず文句を言うヤツはいると考えておいた方が氣が楽です。
ある種の安全装置なのだろうか
あれは何なのだろうなぁと思っていますが、それも自然の摂理というか、ある種の安全装置なのかも知れないですね。
どれだけ素晴らしいことでも、全員が賞賛し同じ方向を向くのは危険な香がしますし。
人は人と割切ることが大切
人は人、自分は自分と割切ることも大切ですし、自分が信じる道を進むときに、文句を言ってくる人がいても、そんなことは氣にせず進む事も必要だということです。
自分の信じる道が、人の道に反することでは駄目ですけどね。
人の道に反するものでもなく、迷惑行為でもないなら、文句を言ってくる相手にいちいち構って納得させる必要は無いのではないでしょうか。
何を迷惑と感じるかは人それぞれなので、世間的に良いこととされることでも迷惑に感じる人もいますから、関わる人全てを納得させることなど不可能ですからね。
8割程度の人から文句が出なければOKくらいで良いと思います。
本当に必要な事でもほとんどの人が反対する様な事もありますから、一概には言えませんけどね。
必要以上に、他者の意見は氣にしなくても構わないと思います。
最悪な所行を賞賛する人もいる
先に述べたこととは逆で、最低最悪な所行であっても、一定の割合で賞賛する人が現れるという現象も起きます。
ほとんどの人がそんなことするのは迷惑だからやめろという意見なのに、それに賛同する人が出てくるのです。
犯罪行為も突発的な傷害事件などは単独犯が多いですが、計画的な殺人、窃盗や詐欺等だと協力者がいる事が多いですよね。
単独犯の犯罪者にもファンが付いたりしますよね。
結局、どんな卑劣な所行に対して100%の人が反対するという事も無いんですよね。
これも安全装置なのでしょうね。