許すのは自分の為
人格者になる為に、許さなければならないという話をしている訳ではありません。
よりよい人生を送るためには、自分の内面に溜め込んでいる怒りや恨み、憎しみを解放していく必要があるのですが、その過程で許すことが役に立つという事です。
つまり、許すのは、自分の健康や人生のためです。
相手の為に許すという事ではないのです。
許せないままでいると、その相手に対するとらわれを無意識レベルで持ち続けることになります。
そして、その怒りや憎しみ、恨みの念が、自分を傷つけ続けるのです。
とらわれているということは、その相手に自分のエネルギーを与えていること
とらわれているということは、その憎い相手に邪氣のエネルギーを注ぎ続けていることでもあります。
酷い仕打ちをしてきた相手に対して、邪氣ではあるとは言え、自分のエネルギーを注ぎ続けていることでもあります。
自分のエネルギーを与えているのですよ。
酷い仕打ちをしてきた相手に、自分のエネルギーを与え続けているなんて嫌じゃないですか?
例えそれが邪氣であったとしても。
人を呪わば穴二つ
また「人を呪わば穴二つ」と言います様に、自分の与えたものが自分に返ってきますから、その憎しみが正当なものであっても、自分の健康や人生に悪影響を及ぼします。
それを避ける為に、許すことで、無意識レベルで憎い相手に対するとらわれている氣持ちを解放していきます。
許すことで、無関心になれます。
無関心が落としどころ
許すというのは、憎い相手を愛して下さいという事ではありません。
とらわれなくなり、相手に無関心になる事を落としどころにすれば充分です。
どうでもいい存在にするという事ですね。
どうしても許せないなら、それはそれで構わないのですが、その想いが自分の人生に悪影響を及ぼしてしまう事は避けられないことは理解しておいて下さい。
良い悪いの問題では無く、現実化の法則的に、そうなってしまうということです。
ですから、許さなければならないのという事では無く、許した方が自分の人生が良い方向に展開するという事なのです。
許すと言うことも受け入れること
現実化力を高めて行く過程で全てが一体であるという認識に経つ必要があるのですが、それは許しがたい相手も自分の一部であると認める必要が出てくる訳です。
許せないでいると、自分の能力の発達を止めてしまいます。
しょうもない人間の為に、自分の成長を止めてしまうのはつまらないことです。
許すことで、受容性を更に高め、よりよい人生の流れに乗りましょう。