全ては一体であると言いつつ、無意識レベルの認識で分離しまくっていた事に氣がついた。
愕然とするね。
無とかソース(源)と繋がるゲートという考え方自体分離の産物だった。
別の領域とかも、「別の」と行っている時点で分離なんだよね。
有と無も分けていたね。。。
すべては一体というのは、有も無も一体なんだし、別領域もこの世界も一体だってことなのにさ。
いまを意識する事で、極過去の映像であるこの世界も分離していた。
いまも過去も一体だということ。
創造も被創造物も一体であるということ。
もちろん、始めに無を意識することは入り口としては重要なんだよね。
そうじゃないと有しか認識してないからさ。
ところが無を意識しだすと、何故か有を格下にみてしまっていたというかね。
有と無も一体である事を思い出さないとダメだった。
無を意識してなかった頃の方が、有を大事に扱っていた様な氣もする。
どっちも大事なのになぁ。
無意識でナチュラルにやっちゃってたから、ほんとうに氣が付かなかった。。
全ては一体と思いながら、無意識に分離しているってほんとうに厄介だ。
まだ他にも分離している認識が隠れているかも知れないので探って行く。