自分で現実化しているのに、何故委ねる必要があるのか
自分で行動し、現実を創造しているのに、委ねないといけないこと。
そこに矛盾を感じている人もいる様です。
自分が現実化をするのに、何故、委ねないといけないのか?という事なのでしょう。
意識的な現実化というのは、現実化システムを意識的に利用すること
現実化というのは、宇宙の現実化システムをうまく利用する様な事なのだと理解出来れば、矛盾はしていないと分かって頂けるのではないでしょうか。
現実化システムを上手く利用出来る事が意識的な現実化ということであって、実際に自我レベルの自分が直接的に創造する訳ではありません。
パソコン操作の様なもの
パソコンの操作の様なものと考えて頂くと分かり易いかと思います。
現実化システムがパソコンを核とした機器全体だとすれば、現実化の思念の入力は、キーボードやタッチパネル、マウス等の操作の様なものです。
コマンドを入力した後は、作業そのものはパソコンや周辺機器に任せますよね。
そんな感じに近いと認識して頂ければと思います。
宇宙そのものが現実化のシステムで、人間1人1人に、現実化コマンドを入力する能力が備わっている訳です。
現実化システムを意のままに利用できれば、自分の願い通りに現実化できるということになります。
でも、コマンド入力した後は、宇宙の現実化システムに委ねて待つしかありません。
もちろん必要な行動はしないといけません。
と言うより、目的の達成に必要な行動をするのも、コマンド入力に相当するのです。
考えているだけでは、入力は完了しません。
作物を育てることにも似ている
別の比喩を使うなら、現実化は作物の種をまき世話をすることに似ているとも言えます。
作物の成長そのものは、自然に任せるしかないですよね。
良い作物を育てるために、土壌作りや水や肥料やり、環境を良好に保つことなど、様々な干渉は出来ますが、成長そのものは自然に任せるしかありません。
そして作物が実れば、収穫する必要があります。
現実化も、それに似ていますね。
願いという種を撒き、芽を出し成長しやすい様に世話をしていかないといけませんが、現実化そのものは宇宙に委ねる必要があるのです。