自ら好んで、自分に刷り込んだスピリチュアル系の知識が、結構、足を引っ張っている様な氣がしている。
氣功を始めたのが17歳で、スピリチュアルに触れ出したのが22歳頃からなんだけど、スピリチュアルに触れる前って、魂の存在も否定していたんだよね。
その後、スピリチュアルの知識とか学んだりしたのだけど、なんか違う様な氣がしてきている。
現実化の話については、合っていると思うのだけど、魂の概念が私の今の体感とズレが生じている。
スピリチュアル系だと、どうしても、身体より魂を上位に置いて、それで色々やっていく訳だけど、そうじゃないよなぁって思っている。
魂の存在そのものは否定はしないのだけど、魂の定義が違ってきた。
進化の過程で人ツイが生まれ、肉体に自我が生じた。
その自我は感情や思考のエネルギーの塊になり、肉体が死んだあとも、その塊が残留思念体というエネルギー体となって残る。
それが魂なんじゃないか?って事。
だから、人間の本質は魂では無いという認識。
肉体と大いなる全てである意識が本質だと思うのだ。
そして、それは魂が自我だったのだという認識でもある。
悟りに至った人間は転生しないというが、その理由もこの解釈の方がスッキリする。
すべての存在が自分自身なのだという観点に到達すると、魂というものの存在が不自然なものだと感じはじめてしまった訳ですよ。
魂は人間が創ったというのが本当の所じゃないでしょうかね。
そして、霊界というのも、残留思念体を隔離する為に人間が創った結界。
肉体の住まうこの世界こそが本質であるということ。
だからと言って、高次元の存在を否定している訳ではないよ。
高次元の空間の肉体をもった存在がいても、それはおかしくは無い。
霊界を高次元の空間と同一視しているのが間違っているのではないか?ということ。
人類の集合意識で創り出したエネルギー体を神とか仏様、聖霊、天使等と崇めている可能性が高い。
ただし、神や佛様、聖霊、天使と認識している対象の何割かは高次元空間の存在だとも想う。
たぶん、両方が混在していると認識した方が良いかも知れない。
それはともかく、魂に関しては、人類が生まれてから後天的に発生したものだと考えて良いのではないかな。
だから、現実の創造は肉体を通して行うというのが、正解の様な氣が今はしている。
少し前に、魂で創造すると主張していたが、それは撤回する。
意識が肉体を通して創造するというのが、いまの解釈。