遠くに意識を向けるのではなく、感覚を高め遠くまで感じる感じにする
瞑想中などに意識を拡げようとすると、遠く経へと意識を向けて拡げようとする傾向がある様な氣がします。
それをやってしまうと、自分にエネルギーが向かず、意識が拡がったは良いけれども、勢いが弱くなるということが起きてしまいます。
そうではなく、感覚を研ぎ澄ませることで遠くまで感じる様な心持ちにしてみてください。
押すのではなく、吸う感じ
意識を向けるのが押す感じとすれば、遠くまで感じるのは引っ張ってくる感じとか吸う感じです。
そういう感覚で、遠くまで感じることで拡がる感覚だ出るなら、それは自分と宇宙が一体化しつつ意識が拡がっている感じになります。
ある意味では感じられる範囲が自分ですから、遠くまで感じられるということは、それだけ自分が拡がることになります。
拡げるではなく拡がる
能動的な「拡げる」ではなく、受動的な「拡がる」という表現になる感じです。
意識を遠くまで向けるでのはなく、遠くも感じるということです。
宇宙との一体感には受動的な感覚が必要ということでもありますね。
時間を意識する事も忘れずに
感じることで繋がるので、感じられる範囲が拡がるにつれて、より宇宙との一体感が濃くなっていきます。
ただ、その時に空間だけにとらわれ過ぎても駄目で、時間にも思いを馳せてください。
動的な一体感
時間が抜けて居ると静的な一体感止まりで終わってしまいますが、時間を意識することで、変化も踏まえた動的な一体感を感じられます。
全ては波動であり、波動は常に振動しているものですから、動いているということは、時間も絡んでいるということです。
動的な一体感を意識することで、宇宙と繋がるだけではなく、宇宙の波動とシンクロするということです。
今という永遠、そして平行する全ての永遠を含む久遠。
すべての過去、現在、未来の可能性を含めた悠久の時との一体感。
それは変化し続ける今、この瞬間でもあるのでしょう。
変化を受け入れること
変化には時間が不可欠で有り、変化を受け入れることが、時間を含めた動的な一体感を得る為に必要です。
それには、変化に委ねる氣持ちが不可欠です。
変化するという事が、この宇宙の唯一不変の性質ですからね。
真の一体感は、動的な一体感であり、それは変化そのものになることなのかも知れません。